ただ、秘めし想いを
「――これでよし、と。」
デスクに広げた資料を片付け、はぐーっと身体を伸ばす。
「さん、コーヒーいりますか?」
「ありがとう。もらうわ。」
湯気に香りをのせたコーヒーは、仕事に疲れた脳を癒やしてくれる。
「さてと、もう一仕事するか。」
大手出版社に務めるは、デザインアート誌の編集部に勤務している。
勤務態度は二重丸がつくほど良く、仕事もテキパキとこなすため上司や先輩からの評判は上々。
温厚で面倒見のいい人柄で、後輩からも慕われていた。
「あのっ……」
ある日の昼休み
見知らぬであろう男性が、に声をかけていた。
「さん、今日のお昼ご一緒しても良いですか?」
「えっ?」
突然のことには驚き、間の抜けた声を出す。
「この近くに美味しいお店があるんです。一緒にどうですか?」
「またお誘いー?、どうするの?」
同僚からからかい半分の声が掛かる。
器量のいいは、男性から食事……もといデートに誘われることが多かった。
「でも、もう私お昼買ってあるんで……」
「僕、奢ります!」
「そんな、悪いです……「おーい!チーフが呼んでるぞー!」
「「あ……」」
呼び出しを聞いて、これ幸いとばかりには頭を下げる。
「ごめんなさい!私、忙しいので!」
口早にそう言って、は慌ただしく奥へと引き返した。
「残念だったわねぇ」
の背中を見送り、呆然と佇む男性に誰かが声をかける。
「まぁ、仕方ないわよ。ウチのチーフアシはガード固いから。――チーフ同様にね。」
「何でしょうか?チーフ」
は目の前の男性に問うた。
「あぁ、今度組む特集のことでな……」
資料片手に話をはじめる様子を見て、はふと先程の言葉を思い出す。
(確かに、チーフってもてるよねぇ………)
直属の上司――チーフエディタであるセッツァーは、女性社員の憧れの的だった。
無造作に背まで伸びた銀色の髪、整った綺麗な顔つき
切れ長の瞳は深いアメジスト色をしていて、神秘的にすら見えてしまう。
異性に興味のないでも思わず見とれるほどの美貌だった。
その上仕事もカンペキにこなすので、女性社員からは圧倒的な人気がある。
「――おい、聞いてるのか?」
呆れたような低い声に、ハッと我に返る。
「あ…ハイ。………一応」
申し訳なさそうに、それでも肯定の返事を返して、今度はきちんとセッツァーの話に耳を傾ける。
「今度はジュエリーアートの特集を組むことになった。
その中にあるジュエリーデザイナーへのインタビューを取り込む。」
「へぇ……何て言う人ですか?」
「セリス=シェールというデザイナーだ。」
「セリスって、あのセリスですか?!」
「知っているのか?」
「知ってますよ。今注目のデザイナーですし。
それに、私彼女のファンなんです。」
「そうか。それなら話は早い。
明後日、彼女の本社に行って来てくれ。」
「わかりました。」
数日後――
「じゃ、私達帰りますね。」
「ん。お疲れさま。」
「チーフアシ、ムリしちゃダメよー。」
「わかってるって。これ終わったら帰るから。」
日も暮れて、社員達は各々仕事に区切りをつけて会社を後にする。
徐々に人気が薄れる中、は一人残って原稿を仕上げていた。
「………よし、できたっ!」
仕上がった原稿を読み返し、ほ、と息をつく。
同時に、今までため込んでいた疲労感が一気に押し寄せてきた。
「ふわぁ〜〜………」
誰もいないのを良いことに、は大きな欠伸をする。
「少し休もう……」
呟きながら、は意識を遙か彼方へ飛ばしていった。
「………?」
会社へ戻ってきたセッツァーは、机に突っ伏しすやすやと眠るを見て呆気にとられた。
数時間前、に仕事を任せて職場を後にした。
だが、思ったよりも話に時間が掛かってしまい戻ってくるのが遅れた。
時間が時間なので、誰もいないと思っていたが………
「何やってるんだ……」
呆れ半分のため息をつき、そっとの肩に手をかける。
「おい、……」
「……んん…」
すっかり寝入ってしまったようで、起きる様子はない。
「ったくコイツは……――ん?」
ふと、デスクの上に目をやる。
デスクの上にはジュエリーアートの資料やメモ帳などが無造作に置かれ、
の手元には推敲の繰り返された原稿用紙が置いてあった。
「ホント、目が離せねぇヤツだな……」
ふ、と笑みを零し、セッツァーはの身体を抱き上げた。
「――区の……まで、」
頭上から聞こえる声に、遠くへ飛ばした意識が戻ってくる。
「……チー…フ?」
「目が覚めたか、チーフアシ。」
「あ…私……」
頭を軽く降って、ゆっくりと顔を上げる。
「あ……////」
目の前に綺麗な顔があって、一気に顔が赤くなった。
「あっ、あの……」
「まぁ落ち着け。」
爆発しそうな心臓を無理矢理抑えて、はセッツァーに向き直る。
「あの、チーフ……」
「お前、寝てただろ。」
「えっ、あ、そのー……」
「気にするな。原稿はちゃんともらった。」
「そ、そうですか………」
ふとは気になったことを聞いてみる。
「ところで、何処へ向かってるんですか?」
「あぁ―――俺の家だ。」
頭が展開に追いつかない。
「何か作る。そこで待ってろ。」
そう言ってセッツァーは台所の方へ入っていった。
「えーと………」
頭が混乱する
わけがわからない
あの後寝てしまったらしい。
で、何故かチーフは私を起こさず家に連れてきて……
そのうえ晩ご飯まで作ってくれるという
……なんで?
確かにチーフアシとしてチーフを支えてきたけれど、
こんな飛んだことをされる覚えはない。
ただの気まぐれ?
ちょっとした労い?
それとも………
「――出来たぞ。」
「あっ、はい。どうもありがとうございます。」
テーブルの上に料理が並べられる。
「わぁ……」
メニューはリゾットだった。
チーズの香りが濃くて、途端にお腹が鳴る。
「取り敢えず食え。夕飯はまだだろ?」
「は、はい。………いただきます。」
一口食べてみると、それはとても美味しくて
一気に仕事を片付けたのでお腹が減っていたから、無礼を承知であっという間に食べ終えてしまった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。」
「そうか。」
食器を片付け、コーヒーを飲みながら静かに時間を過ごす。
「――、」
「何ですか?」
「そのブレスレットは……」
言いながらセッツァーはの左手首を指す。
「これですか?
このブレスレット、セリスさんにもらったんです。」
「セリスから、か?」
「はい。あのインタビュー以来すっかり意気投合しちゃって……
お近づきの印にって、このブレスレットを頂いたんです。」
「そうか」
「このブレスレットがどうかしましたか?」
「セリスのデザインに似ていると思ってな。」
セッツァーの漏らした言葉に、ははっと思い当たったように訊ねる。
「チーフ……もしかして、セリスさんのお知り合いなんですか?」
「知り合いなんてモンじゃねぇ。
アイツは昔からの馴染みだ。」
「そうなんですか?!」
正直驚いた。
そして、次の言葉を考えていると、
ピピピピッ
「!」
突如携帯のアラーム音が鳴り響いた。
「あ、すみません………」
は慌てて携帯を開く。
(なんだ、メールか………)
マナーモードに変更しようとして、画面の端の時計が目に入った。
「どうかしたか?」
「その……」
時刻は夜中。
あと半刻もすれば最終の電車がでるだろう。
「あの、チーフ……ここから一番近い駅って、何処ですか?」
「駅?」
「そろそろ帰らないと……最終電車に間に合わなくなっちゃうかもしれないんで。」
だから……と続けようとした言葉は、セッツァーによって遮られた。
「―――泊まっていけよ?」
あまりにも簡潔で、唐突すぎる言葉。
言葉が紡げなかった。
手は捕まれ、アメジスト色の瞳に見つめられて……
胸は高鳴り、目は一寸たりともそらせない。
そして――……
「――……お世話に、なります」
は静かに肯定の返事を返した。
「――風呂、空いたぞ。」
そう言ってセッツァーは浴室を指す。
濡れた銀髪が蛍光灯の光でキラキラと輝く。
そんなことにさえも見とれてしまっていた。
「タオルや石けんは自由に使って良い。
着替えは――これを着ていろ。」
そう言って渡されたのは、真っ白なシャツだった。
「あ、ありがとうございますっ……!」
目も当てられないほどの色気と気恥ずかしさで、はぱたぱたと急いで浴室へ逃げ込んだ。
「………はぁ、」
ど う し よ う
それしか頭に浮かばない。
「明日……どんな顔してチーフと仕事すればいいんだろう……」
湯船に浸かりながら呟く。
「それに……チーフの家に泊まったなんて知れたら………」
絶対会社にいられない。
それだけは明確だった。
だけど………
困惑する想いが自分の中に渦巻いているのがわかる。
だって………
私………チーフのことが………
好き…だから………
チーフは前からの憧れで、
そのアシスタントとして働くようになって………
最初は良く分からなかった。
ただの憧れの延長戦だと思っていた。
先輩に指摘されて、恋なのかなと感じたけれど、それすらも良く分からなくて。
でも……今ならわかる。その想い全部が。
私……こんなにもドキドキしてる………
チーフがいる。チーフのことを考える。
それだけで、こんなにも胸がいっぱいになる。
「バカだな、私………
こんな時に漸く気づくなんて。」
思わず呟きが漏れた。
「でも………少しは、期待しても良いよね……?」
体を拭き、渡されたシャツを羽織る。
「……おっきい……」
膝まであるシャツを羽織って、はぽつりと漏らした。
「こんなに……身長差があったんだ……」
嫌でも意識してしまう。
男と女の違いを。
それでも、ここまで来たのだから背に腹は替えられない。
すう、と深く息を吸い込む。
「………よし、いこう。」
「上がりました。」
リビングに戻ると、セッツァーはちらりとこちらを見て、おもむろに立ち上がった。
「……?」
そのまま台所へと向かうセッツァーを目で追う。
――否、自然と追っていた。
「飲むか?」
言葉と共にグラスが差し出される。
「どうも。頂きます。」
注がれた茶を飲み干し、ふぅ、と一息つく。
「チーフ、」
声をかけると、視線で返された。
「どうして、私を連れてきてくれたんですか?
――あ、いえ、何となく気になっただけですけれど。」
慌てて語尾を取り繕い、誤魔化すように笑う。
けれど――
次の言葉で、全世界が停止した――
「お前のことが好きだから――――と言ったら?」
え……?
今……何て………?
言葉の意味を理解する前に、身体上の状況が一変した。
背中にひやりと冷たい感触
視界に移るのは、天井と蛍光灯と――セッツァーの顔
両腕は押さえつけられていて動けない。
「チーフ…っ?!」
突然のことに頭が混乱する。
「ちょ……何やってるんですかチーフ「セッツァーだ」
言葉の続きは低い声で遮られた。
「チーフじゃねぇよ。今はセッツァーだ。」
耳元で囁かれ、体がびくりと震える。
「先に言っておく。逃がすつもりはねぇからな。」
「え……?」
「質問に幾つか答えてもらう。」
「それってどういう……「一つ、」
問い返す間もなく、セッツァーは言葉を紡ぐ。
「お前、男はいるのか?」
「えっ?」
「答えろ。――誰か付き合ってるヤツでもいるのか?」
「い、いないです……」
「そうか。なら二つ目だ。」
す、とセッツァーの目が細まる。
怖い
けど、目がそらせない。
逃げられない
「二つ……躰の経験は?」
「っ!?」
「答えろ。あるのか?ないのか?」
「そ、それは………」
あまりにも唐突で直接的すぎる。
の顔は見る見る真っ赤に染まっていった。
「……その様子だと、あまりない方らしいな。」
「えっ……どうして……」
「違うのか?」
「いっいえ……違わないです……」
セッツァーはそれで納得したらしく、小さく息をついて次の言葉を紡いだ。
「三つ――――俺の女にならないか?」
言葉が出なかった。
それはあまりにも突然すぎて、
そして、意外すぎて。
「別に無理強いはしないさ。
ただ、返事はこの場で聞かせてもらうけどな。――どうする?」
軽い調子に聞こえるけど、瞳は真剣そのもので、
口は開いても、言葉が出ない。
嬉しい。けれど、怖い
チーフ……セッツァーのことは好き。これはハッキリしている。
でも、展開が早すぎて……
頭が回らない。気持ちが追いつかない。
断ろうかな……
ふとそんな想いがよぎる。
でも……そうしたらチーフは……
それに……会社も……
「――確かに俺はお前のことを好いている。
けれど、それが理由でお前をアシスタントに選んだワケじゃない。
お前の能力を評価してのことだ。
だから、ここでどう答えても仕事の方に差し支えはない。」
「チーフ………」
考えていたことを言い当てられて、思わずドキリとする。
仕事の方は大丈夫………でも………
それでも………
断ったら、きっとチーフは傷つく………
見たくない……
それに………
「……いいんですか?」
「…?」
「私で……いいんですか?」
「……」
「私……チーフのことが好きです。
チーフがそう言ってくれるなら………喜んで。」
自分の気持ちに嘘はつけない
思ったことを口に出して……
チーフの顔が、一瞬驚いた表情になった。
「――そうか」
静かな呟きと共に、セッツァーは体を起こす。
「手荒なコトして悪かった。」
「いえ……」
自分も体を起こし、セッツァーに向き直る。
すると、腕をひかれてセッツァーの胸の中に抱き込まれた。
「チーフ……?」
「セッツァー、だろうが。」
顔を上げて呟くと、呆れ半分の微笑みでそう返された。
「いいじゃないですか。
チーフの方が呼びやすいです。」
「ったく………」
優しい色の瞳
ゆるりと視線が絡まって――
顔が近づき、唇が重なる。
甘く、心地よい熱を感じた
「ほら――こいよ」
暗闇に包まれる部屋に、暖かく低い声が溶ける。
こくりと一つ頷いて、そっと一人用のそのベッドに身を預ける。
「わ……」
途端に引き込まれる身体。
すっぽりと腕の中に収められる。
――とくん、と鼓動が重なる。
「――、今何時だ?」
「? えっと……0時ちょっと前です。」
「そうか……」
す、とセッツァーの手がチェストに伸びる。
「セリスにもらったって言ったな。そのブレスレット。」
「はい。」
「セリスは好きか?」
「はい。私の憧れです。」
「そうか……」
セッツァーの口からため息が漏れた。
「チーフ……?」
「セリスが、礼を言っておいて欲しいと言っていた。」
「え…?」
「“のおかげで、作品が仕上がった”――そう言っていた。」
「私の……おかげ?」
「あぁ。以前渡したそのブレスレットは、完成途中の作品らしい。
と話したおかげで、良い作品が出来たと喜んでいた。」
「そんな……私は……」
紡ごうとした言葉は、セッツァーによって遮られる。
「あっ……////」
腰に回された腕で強く抱き寄せられ、より密着しあう。
「――近いうちセリスに会いに行く。」
「……?」
「セリスには、色々と感謝すべきことがあるからな。」
髪を撫でていた手が、頬に添えられる。
「それと――明日は、一緒に出社するからな。」
「えっ?」
「互いに釘を差しておく必要もあるだろう。」
「で、でも……」
腕の中のの慌てる様子は、手に取るようにわかる。
やがて眠ってしまったを、愛おしげに見つめる。
髪を撫で、抱き寄せたその頬にそっと唇を落とす。
「…ん……」
柔らかな感触と声。
同じシャンプーの香りと、薄いシャツ越しに感じる肌の感触。
――漸く、この手の中に。
カチリ、と時計の針が12を指す。
手元に寄せた箱を開け、中の物を取り出す。
「……愛してる。」
それを、の指に――左手の薬指に、しっかりとはめてやる。
「誕生日、おめでとう。」
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あとがき
遅くなりましたがセッツァーさん誕生日おめでとー。
パラレルです。雑誌編集局のチーフとチーフアシスタント。わりと近い存在で書いてみました。
セリスは……まぁ、年齢不詳と言うことにしておいてください;
セッツァーさんの誕生日ですが実際祝われているのはヒロイン。
たまにはこんなのもいかがでしょう?
2007 2 10 水無月