物静かで模範的。休憩時間はもっぱら読書。というのライフスタイルは、入隊数日で同期にインプットされ、良くも悪くも平凡な一隊員として認識された。



そんなある日、入隊して一ヶ月ほど過ぎた日の午後。屋内の道場で格闘技の乱取りの訓練があった。
「笠原、さすがにあたしたちじゃ無理よ。」
基本的には同性同士で組むことになるが、男女間並みに体格差があるため、女子たちはそろって郁に詫びを入れていく。
「ええー……」
困ったようにぐるりと周囲を見回す郁の視界に一人の女性が映る。
そんなやりとりを横目に、胴着を整えて準備をすませていただ。
「ね、さん。」
声をかけられては振り向く。
「私でよければ、相手になろうか?」
話は聞いていたので、郁が訊ねる前には答えた。
「えー?」「やめときなよー」
他の女子から声があがるが、は小さく首を横に振った。
「実戦では笠原さんくらいの男を相手にすることもありえるから。一度くらいは組んでおいた方がタメになると思うけど?」
の言い分に納得したのか、他人事と決めたのか、それ以上止める者はいなかった。

始め、の合図で郁が一直線に突っ込んでくる。
は突っ込んできた郁の奥襟をつかもうとしたが、
「っ──」
予想していたよりも彼女の方がリーチと力が一歩勝っていた。ぐるん、と世界が一転する。
どすん、と音が響いて、周囲から同情混じりのどよめきが起こった。
「うっわー」「大丈夫なの?」
綺麗に投げられたに郁が駆け寄る。
「ご、ごめん!」
「大丈夫だから。ありがとう。」
差し出された手につかまって立ち上がる。
「やっぱり笠原さんは強いな。」
「あ……えっと、あたし手加減とか知らなくって。怪我してない?」
「大丈夫だって。本番は手加減しなくていいんだから。」
はそう言って胴着の乱れを直す。──その背中に、何やら視線を感じた。
振り返ると正体はすぐにわかった。堂上だ。
「えっと……何でしょうか、堂上教官。」
が訊ねると、堂上は難しい表情のまま歩み寄ってきた。
「……、もう一度笠原と組め。」
「えっ?」
驚きの声を上げたのは郁だ。他の隊員たちも驚きを隠せない。
「ちょっと教官!さっきの見てなかったんですか?!」
「見ていたから言っている!」
「何ソレ?!なおさら意味わっかんない!」
噛みつきあう郁と堂上をしばし眺めて、は小さくため息をついた。
「わかりました。笠原さん、私は大丈夫だから。」

郁はしばしごねていたが、の言葉に後押しされ、位置に着いた。
「始め!」
今度はすぐ側に立って堂上が合図を出す。
同じように一直線に突っ込んできた郁を、はかわす体で軽く身を引き、一瞬の隙を逃さず腕を取って床に叩きつけた。
先ほどとは逆の結果。鮮やかな技のキレに、全員が言葉をなくしていた。
「……これでよろしいですか。」
「ああ。そのまましばらく笠原と組めるか。」
「私はかまいませんが……」
ちらりとは起きあがってきた郁を見る。
「大丈夫?」
「あ、うん。全然平気。」
「ならよさそうだな。笠原、。しばらく乱取りはお前たち二人で組め。」
教官の指示がなくともそうなったには違いないが、二人は揃って頷いた。





一日の訓練が終わり、訓練施設から人がいなくなって音が消える。
日報をつけ、次の日の訓練について考えていたりするうちにすっかり時間は過ぎ、堂上は食堂が閉まる前に滑り込んで夕食をすませた。
「そういや堂上、午後の訓練で道場使ったのはお前のところだったな。」
食事を終える頃そう話しかけてきたのは特殊部隊の進藤一等図書正だ。堂上は咀嚼していた物を飲み込んで頷く。
「さっき見たら鍵が戻ってなかったんだが……」
進藤の言葉に、そんなバカな、と思わず素の口調が出た。
「ちゃんと鍵はかけて戻しておいたはずです。」
「そうか。まあ、お前に限ってかけ忘れるなんてことはないか。忘れ物でもした奴が借りていったのかもしれんな。」
「念のため後で確認しておきましょうか。」
「ああ、別にいい。明日朝イチで聞いておく。」



進藤はああ言ったものの、堂上としては気になることもあったので立ち寄ってみることにした。


夜の道場はそこだけ別世界の様に静かだった。
「…………」
高めの窓から差し込む月の光が一畳にも満たないスペースを照らしている。
その片隅で、一人の女性が目を閉じて座していた。
ぴん、と伸びた背中に柔らかな光が降り注ぐ。
それは一枚の絵画のように美しく、堂上は言葉も忘れて見惚れてしまった



――どれぐらい、そうしていただろうか。
不意にす、と彼女の瞳が開いた。
「ん……堂上教官?」
声をかけられ我に返る。
。」
彼女の名前を呼ぶと思った以上に大きく響いて、堂上は声をやや小さくして訊ねる。
「こんなところで何をやってるんだ。」
「なんとなく。気持ちが落ち着くので。」
綺麗な正座の姿勢のまま答え、
「ちゃんと許可を貰って鍵を借りてきました。」
と説明し、は顔をこちらに向けた。
「堂上教官は、どうされたんですか?」
「進藤一正がから鍵が出てるって聞いてな。」
「すみません。門限までには閉めて戻るつもりだったんですが……」
「いや、いい。疚しいことしてるわけじゃないしな。」
そう言って堂上は一人分ほどの間を空けて腰を下ろした。
「……何か、やってたのか。」
「えっ?」
不意打ちだったのか、凛とした表情が少し崩れた。
「昼間の乱取りだ。受身もしっかりしてたし、あの背負い投げ、素人の技じゃなかったからな。
柔道かなにかやってたんじゃないのか?」
「えっと……昔に少しだけ。普通に素人ですよ。今日はたまたま上手く投げれただけです。」
「本当か?」
本音か建前か。静かな表情からは読みとれない。
つい疑うような口調になってしまい、慌てて言葉を付け加えようとしたが、の方が先に口を開いた。
「嘘じゃありません。学生時代はバスケ部だったこと、教官はご存じでは?」
提出された履歴書には確かに成績も交えて書かれていた。
「ああ、そうだったな。……すまん、言い方がキツかった。」
「あ、頭下げないでください。大丈夫です。わかってますから。」
頭を下げようとすると、慌てたようにが遮った。
思わず声が大きくなってしまい、はっと口元を押さえる。
意外と言えば意外な仕草だ、と内心思いながら、そういえば個人とこうして話すのは初めてだったことを思い出す。
訓練はほぼすべて及第点以上でクリアしているため、注意もアドバイスもほとんどしたことがない。
物静かな模範生──この間まで見ていた姿に、今は違和感を感じた。
堂上がその違和感の正体を考え込んでいると、あ、とが声を漏らした。
「教官、そろそろ戻らないと門限が。」
時計を見ると規定の時間まで十分ほどだった。
綺麗な動作で立ち上がったは壁に掛けてあった鍵を手に取る。
、先に戻ってていいぞ。」
「でも、鍵をお返ししないと。」
「俺が戻しておく。明日進藤一正に訊かれたら答えにくいだろ。」
ほら、と手を差し出す。はしばし間をおいて、お願いします。と小さな鍵を乗せた。


「──、」
入り口で靴を履くに背後から声をかける。
「お前が手を抜いてるとは思ってないが……あまり抑えすぎるなよ。」
「……?」
小さく首を傾げたに、呟くような声で答える。
「疲れるだろ。お前が思っている以上に。」
どうしてそんな言葉が出てきたのか、自分でもうまく説明できる自信はないが、は「はい。」としっかり頷いて女子寮へと戻っていった。






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 あとがき
ミステリアスな主人公に初挑戦?です。書き応えみたいのは結構あります。
変わり者の主人公ということで、堂上をはじめメインキャラクターの視点も時々はさみたいと思っています。