「む……」
ひとりの女性が、顔をしかめていた。
街中にあふれる金属音や時折漂ってくる機械油の匂いには眉一つ動かさず、ただただ一点を見つめ続けている。その視線の先には、細かい目盛りが刻まれた最新式の測量計が並んでいた。

「なんか……違うんだよな……」
店先で商品棚と睨み合うこと半刻超。
結局何も買うことはできず、近くのベンチに腰を下ろすなり、大きなため息がこぼれた。
「はあ……」
一騎当千。砂漠の銀狼。
数多の称号を持つ彼女にはおよそ似つかわしくない深いため息の原因──事は数日前にさかのぼる。


傭兵としての残り少ない仕事を終え、報告のためにはグランコクマへ立ち寄った。
エルドラントでの決戦後、「うやむやのままではいけない」と半ば周囲に尻を叩かれる形で、とガイは正式に婚約。ただし式は各国の情勢が落ち着いてからという事になった。
はその期間を利用して身辺整理を進めつつ、暇を見つけてはガイの所へ立ち寄っていた。
「お……珍しい」
すっかり見慣れた玄関を通り、リビングを覗いてみると、何やら手元で作業をしている背中が見えた。
「ガイ」
少しだけ遠慮した声で話しかけると、彼は手を止めて振り向いた。
。来てたのか。」
「ああ。依頼人の都合で急遽変更したんだ。……にしても、珍しいことしてるな。」
ガイの手元には針と糸、そして見覚えのある色の布地がかかっている。
「ああ、昨日ブウサギ小屋を掃除してたら引っ掛けてしまったんだよ。」
そう言いながらガイが縫っているのは、旅の間いつも身に着けていたベストだった。
見ると、腰にかかる部分が数センチ避けている。
「前からマメに手入れしてたけど……気に入ってるのか、それ?」
「気に入ってるというか……まあ、思い入れはあるかな。」
「ふうん……?」
なんとなく話を聞く気分になり、はガイの傍らに腰かけた。
「このベストはルークに貰ったんだ。」
「ルークに?」
「ああ。俺が19歳の時だから……もう3年くらいになるのか。」



『ガイ、これやるよ。』
その日、ルークは突然ガイの部屋に来るなり何かを突き出した。
『は、はあ……?』
困惑するガイの手元にルークは小奇麗な包みをぐいぐいと押し付けてくる。
『いいから受け取れっての。』
押されるままに受け取り、困惑していると、部屋の外からカツカツと規則的な足音が聞こえてきた。
『ルーク、ここにいましたの!』
よく通る声と共に現れたナタリア王女は、二人を見るなり形の良い間眉をわずかに吊り上げた。
『まあ!もう渡してしまったんですの?
一緒に選んだのですから二人で渡しましょうと言ったではありませんか。』
そう言って、今しがたガイの手に渡ったものをびしりと指差す。
『あー……そうだったか?』
ルークは気だるげに言葉を返し、部屋から出て行こうと踵を返した。
『お、おい待てって!いったいどういうことなんだ?!』
ガイは手の中の包みとルークとナタリアを順番に見ながら慌てて訊ねた。
『どういうことって……』
『今日が何の日か、覚えていらっしゃらないんですの?』
その言葉は、心の深いところをほんのわずかに刺激した。
同時に、彼らの言わんとすることにも気がつく。
『俺の……誕生日か?』
『そーだよ。って自分の誕生日忘れるか、普通?』
ルークは呆れたように肩をすくめ、ナタリアは小さく笑みを漏らした。
『ガイは来年成人の儀を迎えるでしょう?
日頃の感謝もこめて、前祝いをしたいと思いまして。』
『ま、そういうことだ。中開けてみろよ。』
促されるまま中を開けると、綺麗に畳まれたオレンジのベストが出てきた。
一目見ただけで上等な布地が使われているとわかる。
『おまえいっつも地味な格好だからな。それくらいの物は着てねえと俺の従者として連れ歩けねーだろ。』
ルークはそう言って部屋を出て行ってしまった。
贈り物などという慣れないことをしたので照れているのだろう。
『まあ。ルークったら……でも彼、すごく真剣に考えていましたのよ。
是非お使いになってくださいね。』
そしてナタリアはまっすぐにガイに向かって祝いの言葉を告げると、ルークを追って部屋を出て行った。



「へえ……そんなことがあったのか。」
ああ、と話し終えたところでガイは裁縫道具をテーブルに置いた。
ベストは綺麗に修復されている。縫った跡がほとんど目立たないのはさすがだ、とは内心感心したりする。
「誕生日の贈り物、か……」
ふと呟くと、ガイが何かを思い出したように口を開いた。
、今度ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ。」
「いつ頃?」
「来週……41の日、どうかな?」
ガイの提示した日付を頭の中で思い浮かべる。
来週──イフリートデーカン・ローレライ・41の日
やガイにとっては忘れられない出来事があった日
「ん……?ってアンタの誕生日じゃないか。」
「ああ。それをどこで知ったのか、貴族街の女性達からのお誘いがすごくてね……」
余程すさまじかったのか、思い返したガイは若干引きつった顔をした。
「つい言ってしまったんだ。"大切な人と過ごす約束をしている"って。」
「……は?」
「だから、婚約者との先約があると言ってしまったんだ。
忙しいときに突然ですまないが、少し付き合ってもらえないか?」
まったく予想外な突然の依頼に、は目を瞬かせる。
「もしかして、何か用事があるのか?」
「あー……いや、少し驚いただけ……ええと、事情はわかった。予定は空けておく。」
「ありがとう、助かるよ。」
何とか取り繕って答えを返すと、ガイはほっと安堵の表情を浮かべた



──そうして話は冒頭に戻る。
「誕生日の……贈り物……か。」
ガイと約束を交わした後、はそれに思い至った。
誕生日を共に過ごすのなら、婚約者として贈り物を用意するのは必定だろう。
シェリダンへと向かう連絡船の中ではそこまでしか頭が回らなかった。
「もっとしっかり考えておくんだった……。
というか何で欲しいものぐらい聞いたこなかったんだ私……!」
シェリダンの店はほぼすべて回りつくしたが、納得できる物は見つからなかった。
苦悩に後悔が重なってさらに頭を抱え込む。
「──どうしたんですか?」
頭上から降ってきた声に、ははっと顔を上げる。
「……ノエル……?」
ゴーグルに作業着のあどけない顔が心配そうに覗き込んでいた。
「えっと……あの、大丈夫ですか?どこかお体の具合でも?」
言葉で訊ねられ、は慌てて首を横に振る。
「い、いや。大丈夫だ。少し考え事をしてた。」
「お仕事ですか?」
「仕事……仕事というのだろうか……」
逡巡した後、はノエルに事情を説明した。
「ガイさんへの誕生日プレゼント、ですか……」
うーん、としばし考え、ノエルがいくつか譜業関連の物を挙げる。
自分の知らない新しいものもあったがいまいちしっくりこなかった。
「難しいですね……何を贈ったら喜んでもらえるんでしょう?」
何を贈ったら喜ぶ、か──
「……きっと、何でもいいんだろうな。」
「え?」
ふと、そんなことを思ってしまった。
「ガイのことだし、多分何を貰っても笑って礼を言うと思う。今回の件に関しては、尚更な。」
ノエルと話したことで少し冷静になった頭は、若干仕事用のドライな思考になっていた。
「そんな難しい仕事じゃないんだ。とりあえず格好がつけばいい訳だし、ここの物ならハズレはないだろうから、適当に見繕ってしまえばいいんだけど……」
「ダメなんですか?」
「なんだか納得できないというか……嫌、なんだ。
ここまで苦悩するほど完璧主義ではなかったんだけどな。」
はあ、とまた大きくため息をつくと、隣から小さく笑う声が聞こえた。
「ふふっ……あっ、すみません。でも、なんだかさんが可愛らしくって。」
「かわ……いい?」
「好きな人の為に一生懸命悩んでいる姿って、すごく素敵で、可愛いんですよ。」
「なっ……?!」
思わぬ不意打ちに面食らっていると、またノエルが小さく笑みを零す。
「そ、そりゃあ依頼された相手のことを考えてやるのは当たり前だし、一応、パートナーである身分でもあるわけだし……」
「きっとそれが嬉しかったんですよ。パートナーとして頼りにされて。
だからつい、真剣になっちゃったんだと思います。」
「あ……」
ノエルの言葉に、はぽかり、と頭を小突かれたような気分になった。
ガイの言葉に驚いたのは"嬉しかったから"
ドライな思考を揺らがせていたのは"私的感情"
「……我ながら、面倒くさいにも程がある。」
三度目のため息と共に独りごちて、は空を仰ぐ。
「そうか……だから"ありきたり"な物は嫌だったんだ。
アイツが本当に喜んでくれる物を渡したかったのか。」
ガイに音機関を贈れば喜んでくれるのは間違いないだろう。
けれど、それは誰にでも予想できるありきたりな展開だ。
「かといって、奇を衒いすぎるのもな……」
わずかに糸口が掴めたと思ったが、具体策が思い浮かばずが再び思考の迷宮に入りかけた時だった。
「じゃあ、ちょっと発想を変えてみませんか?」
なぞなぞを出すように、ノエルの声が少し悪戯っぽい色を含む。
「むしろ発想の逆転って感じですね。」
「逆転?」
「贈り物は何でもいいんです。むしろ音機関よりももっとありきたりなくらいで。」
「……つまり、どういうことだ?」
うーん、とノエルは先ほどと同じように少し考えを巡らせて、腿のホルダーから工具を一本取り出した。
何の変哲もない鈍色のそれは、よく見るとしっかりと使い込まれた跡があった。
「これ、初めてアルビオールを飛ばすことになった時、おじいちゃんにもらったんです。整備するときに必要だろうって。
それからずっと使ってるんです。手に馴染んだ、というのもあるんですけど、大好きなおじいちゃんに貰ったものだから大切にしたくて。」
工具を見つめながら語るノエルの声は穏やかで、どこか寂しげだった。
「だから、普段なにげなく使うありきたりな物でも、特別な人から貰った物ならきっと大切にしますし、喜んでもらえると思いますよ。」
「……ああ。」
するりと、絡まっていた解決の糸がほどけたような気がした。
「ありがとう、ノエル。何とか先が見えてきた。」
「お力になれたのなら嬉しいです。」
ノエルはにっこりと笑い、そして何かを思いついたように顔を寄せると
「あ、それとですね──」
にそっと耳打ちし、また悪戯っぽい笑みを零した。



そしてイフリートデーカン・ローレライ・41の日。
グランコクマに着いたは、まっすぐにガイの屋敷へ向かった。
玄関の前に立ち、軽く身だしなみを確認する。
──よし。
深呼吸を一つ、ゆっくりとした動作で呼び鈴を鳴らす。
「──やあ、。」
ドアを開けたガイは、の姿を見ると一瞬驚いたような表情を見せた。
「少し早かったか?」
「いや、問題ないよ。上がってくれ。」
にこり、とどことなく嬉しそうな表情のガイに、リビングまでエスコートされる。
「紅茶でいいよな?」
促されるままにソファに腰掛けると、ポットを手にしたガイがキッチン越しに訊ねてきた。
「ああ。できれば熱めに頼む。」
ささやかなリクエストに、ガイは了解、と機嫌よく答える。
すでに準備していたのか、数分と待たず紅茶の香りが漂ってきた。
それもの好きな茶葉の香りなので、思わず笑みがこぼれた。

「外、寒くなかったか?」
の隣に腰を下ろすなり、ガイは気遣うような声で訊ねてきた。
「まあ、少しは。」
苦笑交じりに頷いて、紅茶を一口飲む。
お気に入りの香りに包まれ、内側から広がる温かさにほう、と息が漏れた。
「けど、驚いたよ。」
言葉につられるように視線を向けると、ガイにまじまじと見つめられていた。
「……それは、」
「すごく綺麗だ。」
どういう意味で、と訊ねる前に答えを告げられた。
かあっと顔まで一気に熱くなったのはきっと紅茶のせいではない。
なんとか平静を保とうと、羽織ったショールをぎゅっと握る。
「……そんなにまじまじと見なくてもいいだろ。」
せめて赤くなっているであろう顔を見られまいとそっぽを向くと、背後で笑う気配を感じた。
「すまない。でも、本当に良く似合ってるよ。
……なあ、こっち向いてくれないか?」
ショールを握る左の義手にそっとガイの手が重なる。
ささやくような声がいつもより色気を帯びているように聞こえるのは、気のせいだろうか。
はあ、とため息に似た吐息を漏らして、ゆっくりと彼に向き直る。
「──っ」
思ったよりも近い距離に、はあげそうになった声をぎりぎりで堪えた。
それを知ってか知らずか、ガイはの改めて見直し、幸せそうに目を細めた。
深い青のロングドレスは長身なに良く映えているし、綺麗に結い上げられた髪がより女性らしい印象を与えている。
ふわりと鼻を掠めた甘い香りに、今すぐ抱きしめたくなる衝動をなんとか抑えてガイは訊ねる。
「この格好は、俺のため?」
は小さく頷いてから、冷静さを押し出すように答えた。
「一応、私も貴族だからな。それにアンタの顔に泥を塗るわけにもいかない。」
「そっか。……ありがとう、いろいろと考えてくれて。」
「気にするな。私が好きでやっているんだ。」
そう。好きでやっているんだ。
口の中でもう一度呟くと、照れと緊張で固まっていた心がすっと解れた。
私が"好き"でやっていることだ。開き直ってしまえ。
心の命じるままに、は隠し持っていた小包みをガイに向けて突き出した。
「これ、受け取ってくれるか。」
突然のことにガイはまた一瞬固まっていたが、まっすぐ見つめてくるの視線に気づくと、ふ、と笑みを漏らして、差し出された物を受け取った。
「開けてもいいかい?」
「ああ。」
シンプルな包装紙をガイの指先が丁寧に開いていく。
その様子を見つめながら、はノエルの話を思い出していた。

『あ、それとですね──
アクセサリーとかなら、他の女性への牽制にもなりますよ。』
牽制など必要ない、と思わないでもなかった。
けれど、いつも傍にいられないのが現在の状況だ。
ガイの心が移ろうとは思わないが、どうにも自分は彼のことになると負けず嫌いが強くなるらしい。
彼を狙う他の女性たちに、勝った気でいられるのも、勝てると思われることも気に入らなかった。
そんな、我が儘な感情が自分の中にまだあったなんて思いもしなかった。
「──お、」
かさり、と微かに音を立ててガイが箱の中身を取り出す。
「ネクタイか、いい色だな。」
シックなダークカラーのネクタイはとりあえず気に入られたようで、はほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとう。大切に使わせてもらうよ。」
「気に入ってくれたなら、何よりだ。」
嬉しそうにネクタイを手に取るガイへ、は一呼吸おき、言葉を続ける。
「ガイ、その……礼ついでというわけじゃないが、我が儘を一つ言ってもいいか。」
「なんだい?」
「こんなの馬鹿馬鹿しいって思うだろうけど……他の女性から贈られた物とか、身に着けないでほしい。」
言い切ってしまえば、言葉は少しずつついてきた。
「……それを選んでるとき、思ったんだ。
他にも誰かがこういうものを贈るかもしれない、と。
そしたらどうしようもなく嫌な感情が溢れてきて……」
感情を押さえながら、ぽつりぽつりとは続ける。
「私らしくないよな。……こんな面倒くさい感情があるなんて思いもしなかった。けど、抑えられなくて──っ」
思いを吐露する声は急に遮られた。
「──そっか。」
頭上から降ってきた声で、ようやく抱きしめられているのだとわかった。
「ガ、ガイ?!」
「キミが望むなら──」
慌てるに対して、ガイは穏やかな声で答える。
「他の人から貰ったものは使わないし、贈り物も断るよ。」
「それ、は……」
「いいじゃないか。我が儘でも。
そういうのが嬉しいって思うくらいに、俺はキミが好きなんだ。」
それに、と続ける声にまた色気が混じる。
「こんな風に可愛い姿見せられて、断れるわけ無いだろ?」
「なっ……」
何を、と戸惑う言葉は一歩遅く、残された感情はすべて甘い唇に攫われた。
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  あとがき
ガイ様お誕生日おめでとうございます!的なお話です。
最初に出したプロットからはだいぶ外れてしまったのはここだけの話。
思った以上にガイ様が好きでヤキモチ焼いちゃうウチの子ととりあえずデレな感じのガイ様が書きたかった。
本当はネクタイ締めるところまでやりたかったけどぐだぐだ長くなるので割愛。

 2016 6 22   水無月