夕刻、とガイは依頼主の男と共に馬車に乗り込んで出発した。
見た目は庶民の使う馬車のように見えなくもないが、しっかりした素材を使っており、伝わってくる振動も小さい。
「そういえば、名前を決めていなかったな。」
ふとがそう切り出した。
別人として潜入する以上、本来の名を名乗るという訳にはいかない。
「俺……じゃない。私、だな。
私はと名乗る。愛称がと言うことにしておこう。ガイはどうする?」
「俺か?そうだな……」
む、とガイは腕を組んで考え込む。
「まあアンタはこの辺の人間じゃないし、そのままでもさして問題はないだろうが……」
はそういってガイの横顔を見ながら、
「セシル、でいいんじゃないのか。」
なにげなく、そう口にした。
「え……?」
「普段呼ばれない名前でかつわかりやすい。と私は思うんだが、どうだ?」
「あ、ああ。そうだな。俺はかまわないよ。」
ガイは一瞬驚いたように目をしばたいたが、すぐに納得したように頷いた。
「よし。あとは……向こうの出方しだいだな。」
馬車は程なくして目的地に到着し、たちはパーティー会場へと案内される。
既に招待客のほとんどが来ており、談笑する声があちらこちらで聞こえた。
「……ほぼ予想通りの人数か。」
ざっと会場内を眺め、は小さく呟く。
「どうするんだ?」
「ひとまずは様子見だな。」
ガイが小さく頷いたのを確認し、はドレスの裾を軽く整えて、ゆっくりと息を吐いた。
「──こちらは懇意にしていただいている商家のご息女でして。」
「と申します。」
優雅な動作で一礼しつつ、周囲にいる人間をそれとなく観察する。
はケテルブルクに住む富豪の娘で、ケセドニアにはバカンスに来ている、という設定だ。
「小父様にはいろいろとよくしていただいて……今日もこんな素敵なパーティに連れてきていただいて、本当に感謝しています。」
そう言ってにこりと微笑めば、誰もの素性を疑ったりしなかった。
しばらく挨拶周りが続き、観察できた人間は招待客の半数ほど。
どうするか、とグラスを片手に考えていると、なにやら気になるものでも見つけたのか、こちらを見つめるガイと目が合った。軽く頷いて、二人で話せる機会を伺う。
──と、突き抜けるようなラッパの音が響いて、広間の雰囲気がぐっと明るくなった。
ぞろぞろと男女のペアが進み出て、音楽が鳴り始める。
パーティは舞踏会へと移ったらしい。
「あれなら……」
思いついたアイデアに、一瞬躊躇いが混じった。
それを振り払うように軽く頭を振って、はガイの方へ向き直る。
「私も踊ってこようかしら。小父様、よろしいでしょうか?」
「少しだけなら。無理をしないようにしなさい。」
「はい。」
そう言うと依頼主と談笑していた一人が
「よろしければお相手をしましょうか?」
さわやかに、微妙に下心の見える笑顔で訊ねてくる。
「まあ嬉しい。……ですが私、あまり上手ではないのでご迷惑をおかけしてしまいますわ。」
体が弱い、という設定も相まってか、詫びの言葉を告げると相手はすんなりと退いた。
「セシル、お願いできますか?」
「!? お──私ですか?」
「ええ。貴方なら私の歩調も知っているでしょう?
少し雰囲気を味わうだけでいいですから……」
ガイは素で戸惑っていたようだが、の視線で言わんとすることを察したのか、
「かしこまりました。私でよろしければ。」
小さく息を整えて、恭しく手を差し伸べた。
「それでは……参りましょうか、お嬢様。」
「はい。行って参ります、小父様。」
振り返り際にさっと周囲を確認する。
不審な視線はなく、二人は堂々と広間ダンスフロアへと足を踏み入れた。
「とりあえず……ほら、手回せ。」
「あ、ああ。」
ガイの腕がぎこちなく腰に回される。
「意識してる場合か。」
ぐい、とやや強引に形を作って、先に踊る集団の中に混ざる。
「……で、何か見つけたのか。」
ゆっくりと簡単なステップを踏みながら、声を潜めて訊ねる。ガイも何とか冷静さを取り戻したようで、ああ、と答えながら部屋の一カ所へ視線をやった。
「少し気になるものがある。……あっちの方へ寄れないか。」
小さく頷いて、ステップの向きを変える。
「の方は?」
「決定的なものはまだだが、気になるのがいる。」
「どうする?」
「先にそっちを見よう。どこかで探れるチャンスはあるはずだ。」
そういった拍子にドン、と何かに押されてがよろめく。
「大丈夫か?」
「あ……」
訊ねる声に顔を上げれば、吐息が感じられそうな距離に言葉を失う。
「?──あ」
不思議そうに視線を下ろして、を抱き止める自分の腕に気づいて、ガイの表情が一瞬硬直した。
「あ、いや、その!」
驚き慌てて離れるガイに、周囲の数人の注目が集まる。
はコホン、と小さく咳払いをして、
「……セシル。少し疲れてしまいました。部屋で休みませんか?」
落ち着いた声でそう言うと、ガイもとりあえず持ち直したようで、二人はダンスフロアを後にした。
「すまない、。」
「謝るのは失敗してからだ。──確認はできたのか?」
廊下を歩きながらささやくような声で会話する。
「ああ。確認できた。人為的なもので間違いないと思う。」
「……となると、あとは実行犯か。」
はドアの並ぶ廊下を見つめ、目を細める。
「二手に別れよう。私は広間の方へ戻る。ガイはこのフロアを頼む。」
「わかった。気をつけてくれよ。」
ガイの言葉に頷き、は踵を返すと駆け足で戻っていった。
広間へ戻る通路を通り過ぎ、脇の急な階段を駆け上る。
「っ……想像以上にしんどいな。」
ドレスの裾とハイヒールの組み合わせに苛立ちながらも何とか上りきり、は自嘲気味な笑みをこぼした。
「これじゃ社交界デビューなんて一生無理か。」
軽く息を整え、狭い通路を慎重に進む。
広間を覗き込める脇の通路は、吊るされているシャンデリアと同じほどの高さだ。
「…………」
懐に仕込んだ武器を確かめながら、広間の中程に当たるところまで進んでいく。
「──見つけたぞ。」
そうして、通路の橋にしゃがみ込む人影を見つけ、は小さく息を吐いた。
「そこで何をしている?」
声をかけられた人影は、広間を狙うような姿勢のまま、首だけをこちらに向けた。
「お前はあいつの……?」
「その様子を見るに、アンタが実行犯ということで間違いなさそうだな。」
相手はゆっくりと立ち上がってこちらに向き直った。
全身を黒いスーツに包み、髪は短く整えられている。年は二十代後半といったところだろうか。
「さて、今更猫をかぶる必要もないな?
素直に投降するなら手荒な真似はしない。相方にもそう伝えろ。」
は淡々とした口調で告げ、ゆっくりと歩みよる。
宴で盛り上がっている広間とはうってかわって静かな通路に、コツコツとヒールの足音が響いた。
「…………」
相手の男は何も答えず、じっとこちらの様子をうかがっている。
「だんまりか……」
はゆっくりとした足取りのまま距離を詰めていく。──と、不意に男の体が動いた。
互いの距離が数メートルもなくなったところで一気に距離を詰めてくる。
「っ!」
瞬時には足を止め、身を捻って相手の突撃をかわした。
「投稿する気は最初から無いようだな。」
手元で鈍く光る刃を見つつ、も腿に隠したナイフを取り出す。
すかさず斬りかかってきた相手の短剣を受け流し、逆側へと回り込むと、裾が捲れるのもかまわず、がら空きの背中へ向けて回し蹴りを放った。
「ぐあっ……!」
強烈な一撃にスーツ姿の男は石造りの床に倒れ込む。その手に握られていた短剣を廊下の隅へ蹴り飛ばし、首筋にナイフを突きつける。
「チェックメイトだ。」
冷淡な言葉に項垂れた男を手早く縛り上げる。
「お前はいったい……」
「……さあな。」
は小さく呟いて腰を上げると、ガイを探そうと広間の方に目を向けた。
のぞき込むようにホールの端から端へ視線を一往復させていると、背後で小さな物音がした。
反射的に体が振り向く。瞬間、の表情が一変した、
うつぶせに倒されている男の傍らに、微かな光を放つ円陣。そしてポケットからは黒い小さな箱が転がり出ている。
「っ……!」
光は円陣の内側に複雑な陣を描き始める。
は転がり出た黒い箱をつかみ取ると、手すりの上から身を乗り出した。
「ガイ!どこだ!」
突然の声にざわめく広間の客達には必死に目を走らせる。
「!」
騒然とする広間の中から人混みをかき分けるようにして手を振る姿を見つけると同時に、は手にした物を投げ渡した。
「外へ捨てるんだ!」
投げられた物を何とか受け止めたガイはの呼びかけに大きく頷くと、エントランスへと走っていった。
「ったく……やってくれるな。」
小さく呟いて、はもう一度振り向いた。
床に伏せる男の口元には僅かに笑みが浮かんでいる。そして、完成した譜陣が発動の光を放った。
「な──」
ドン!と一瞬の振動音が建物を揺らす。
視界を覆う煙が晴れると、石造りの床がピシリ、と音を立ててひび割れ始めた。
「反対側へ逃げろ!」
が叫ぶ。直後、廊下の亀裂はみるみる広がり、崩れ落ちて穴を空けた。
ガラガラと音を立てて廊下が崩れ落ちていく。縛り上げていた男と分断されたは、数歩分せり出したバルコニーへと避難する。
「……っ」
残っている柱周りに張り付き、広間を見下ろす。
ひとまず来客は安全な場所まで避難している。そのことにとりあえず安堵していると、エントランスから駆け込んでくる姿が目に入った。
「?!」
「ガイ!そこから──」
離れろ、と叫ぶ声を、先程よりも小さな爆発の音がかき消した。
一度止んだ崩落の音が再び広間へと落ちていく。そしてそれはの足下まで迫ってきた。
追加の衝撃で小さなバルコニーが崩れ落ちていく。
何でもいい、とつかまろうとした手はあえなく空を掻き、崩れる石の床と共に落下していく──
「──跳べ!」
呼びかける声に振り向くと同時に、の身体はほとんど反射的に動いていた。
揺れる足場をヒールの踵が強く蹴る。
一瞬の、浮遊感
伸ばされた腕の中へ、は迷い無く飛び込んだ。
腕を伸ばしたガイの頭上で、特注のドレスがひらめく。
彼女が跳ぶと同時に、バルコニーの床は広間の端へ崩れ落ちていった。
それを見ている内に、の身体が真上へ落ちてくる。
ドスン、と着地の衝撃は消して軽くなく、ガイはを抱き留めたまま背中から倒れ込んだ。
「っ……大丈夫か、!?」
「……ん、」
腕の中を覗き込むと、はゆっくりと身を起こした。
「っつつ……」
小さく頭を振り、は駆け寄ってきた依頼主の男に呼びかける。
「犯人は下の廊下に落ちていった。少しは動けないだろうが、急いだ方がいい。」
「わかりました。」
ガードマンと共に依頼主の男は去っていく。
「私たちもいこう。」
そう言いながら立ち上がろうとして、は足下からガクン、と倒れ込んだ。
「?!」
「っ……!」
再び彼女を抱き留めたガイは、裾からのぞく足首を見て目を見開く。
「おい、その足……!」
細い足首は赤く腫れ上がって、挫いた痕跡をしっかりと残していた。
「とにかく手当てしないと。」
「大丈夫だ。それにまだ犯人を捕まえてない。」
「無茶言うな!大丈夫なわけないだろう。」
思わず怒鳴るような声になってしまい、ガイは取り繕うように一泊置いて、を諭す。
「ひとまずはが捕まえておいたんだろ。あれだけの人数が行ったなら問題ないさ。
だから──頼むからもっと自分を大事にしてくれ。」
から返ってくる言葉はない。
ガイはすまない、と小さく呟いて、の身体をふわりと抱き上げた。
「なっ?!」
「手当てしに行くぞ。」
いわゆる“お姫様抱っこ”のまま、ガイは早足で広間を出ていく。
その後で置いてけぼりにされた来客達に戻ってきた依頼主の男が事情を説明して、そのまま宴は幕を閉じた。
「……悪かった。」
客室の廊下を進む途中、はぽつりと呟く。
「どうした?」
「謝るのは失敗してからだと言っただろう。
……私が油断したせいで危険な事態を招いてしまった。」
「来客に怪我人はなかったんだからいいじゃないか。」
「……それでもだ。すまない。」
そう言って俯いてしまったに、なんと声をかけたものかと思案しつつガイは部屋へと入る。
「よっ、と……大丈夫か?」
上等のベッドにを下ろし、ガイは彼女の膝から下へと目線を合わせる。
「……大丈夫だ。骨が折れた訳じゃない。」
「とりあえず診るぞ。」
ガイはそう言うとの負傷した足に手を添え、装飾の着いたヒールの靴をそっと脱がせた。
「っ……」
痛みと、少しの気恥ずかしさでの表情が僅かに歪む。
「これじゃあ歩くのはキツそうだな……とりあえず包帯で固定しておくか。」
くるくると手際よくガイは包帯を巻いていく。その指先は壊れ物を扱うかのように優しい。
「……あのさ、ガイ。」
ぽつり、とが呟くように口を開く。
「その…………」
はて、自分は何を言おうとしたのだろうか?
が戸惑っている間も、ガイは黙ったまま手当を続けていく。
ふと、彼が声をかけられたのに無視をするなんて妙だな、と思い当たった。
「……ガイ?」
包帯を結び、端を切ったところでため息にも似た吐息をガイが漏らす。
「あ、いや、その……悪い。」
ガイは視線を逸らして、どこかぎこちない動作で手当の道具を片づける。
その様子を見つめながらは言葉を探るように話しかけた。
「ん……なんだ、その、急に巻き込んですまなかった。」
「これくらい……気にするなって。」
「アンタがいてくれて助かった。……ありがとう、ガイ。」
そう言ったを見て、ガイの動きがぴたりと止まる。
「?……ガイ?」
そんなに自分は変な表情でもしていたのだろうか。それとも何かおかしなところがあっただろうか?
「そんなことはない!」
考えが独り言として出ていたのか、ガイは慌てたように首を横に振る。
「そ、そうか……」
何とも言えない空気が漂う中、ガイはゆっくりと腰を上げて、の正面に立った。
深呼吸をして、腰掛けたままのに手を伸ばす。
「。」
いつもと違う真剣な響きには先の予測が付かず固まってしまう。
その距離がゼロになるまでどれほどの時間がかかったのかは憶えていない。
「キミが──……無事で、良かった。」
さっきの優しい微笑みを見て、自然と零れたのはそんな言葉だった。
言葉と共に、触れた指先が瓦礫で擦った頬をなぞる。
──見つめる視線の距離は今までに無いほどに近く、まっすぐで。
胸の内に灯る熱は初めて感じる知らないもので、ただ戸惑うことしかできなかった。
彼がその想いの正体に気づくのはもう少し先のこと。
彼女がその変化を自覚するのはもっと先のこと。
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あとがき
自分の誕生日くらいに書き始めたお話しです。どんだけかかってるんだ。
すごく楽しく書けました。ガイ様は本当に王子様キャラが進みます。
エクストラエピソードということで、どこの時間枠かはご想像にお任せします。
2013 10 3 水無月