それはまさに晴天の霹靂というか、ふって沸いたような話だった。
物資補給に立ち寄ったケセドニアの街で、はついでに以前に頼まれた仕事の報告も済ませることにした。



「お、来たな。」
顔を出すなりかけられた言葉に思わず引き返しそうになる足を、は一呼吸で何とか踏みとどめた。
「……先日頼まれていたものだ。見てくれ。」
マスター兼仲介人に皮袋を渡し、適当に飲み物を注文する。
確かに。と品物の確認が終わり、飲み物が作られる。
頬杖を付いて待っていると、顔見知りの傭兵達が周囲に集まってきた。
こういった状況が何を意味するのか。入った時点で察することが出来る程度にはここでの年数も重ねてきている。
「何だ。また厄介ごとか。」
呆れたように言い捨て、出されたカクテルを軽くあおる。
「相変わらず察しがいいな。ま、お前に回りくどい言い方は意味ねえか。」
そう言って差し出されたのは一目で富裕層のものだとわかる依頼の文書だった。
「お前に『是非』やってもらいたいんだってよ。」
「はあ……?」

怪訝な表情をしつつも、見慣れた書式の文書をざっと眺めて──その目つきが一気に鋭くなり、鬼の形相へと変わった。
「断る!」
周囲を跳ね除けるような口調で、は文書をカウンターに叩きつける。
「誰だこんなの持ってきた奴は!」
声を荒げると、近くにいた一人が文書の端を指差した。
「依頼主様ご本人だ。」
「む……」
返ってきた答えには表情を曇らせた。
先ほど目を通したときに名前は確認しているので、改めて見直すことはない。
「……だいたい、何で俺に振る。」
いくらか声を抑えて、はどかりとイスに座りなおす。
「何が“是非やってほしい”だ。向こうがほしいのは女なんだろ。」
「女装でも可、ってわざわざ書いてあるじゃねえか。」
「だからって……」
ガタン、とカウンターを割らんばかりの勢いで拳が叩きつけられ、グラスの中身が少しこぼれた。
「お前ら、俺にドレス着て踊れって言うのか?!」
「はあ?!」
驚きの声はの周囲ではなく、店の入り口から聞こえた。
「な、何をするつもりなんだ、?!」
聞きなれた声に視線を向け、予想通りの表情で立ち尽くす姿に、は小さくため息をついた。
「……最悪だ。」




「……で、何のようだ。こんなところに。」
「こんなところってなあ……「黙ってろ!」
一喝で外野を黙らせると、は入り口で呆然と立ち尽くすガイの傍に歩み寄った。
買い物をしてきたようだが、よほど衝撃だったのか、袋の片方が床に落ちている。
それを拾い上げて渡すと、ようやくガイは口を開いた。
「ああ、いや、通りかかったらキミの声が聞こえたから気になってな。」
「声?」
「外まで聞こえてたぞ。すごい勢いだったじゃないか。何かあったのか?」
真顔で問い返され、はう、と言葉を詰まらせる。
「……仕事の話だ。気にするな。」
「じゃあドレスを着て、ってのは何なんだ?」
「さて、着るなんて言ったかな。」
適当にはぐらかし店を去ろうとしたの背中に、傭兵の一人が声をかける。
「引受人にはお前を推薦しておいたからな。」
「?!」
ピキリ、との表情が強張った。
「……おい、どういう意味だ。」
「お前らがこっちに向かってるってことだったからな。商売人の耳の速さはお前も知ってるだろう。」
「それ以前に普通に女を薦めろ!」
反射的に言葉を返しつつ、店の片隅で談笑している女傭兵達の方へ睨むように視線をやる。
「アタシらこそドレス着てってガラじゃないっての。
いいじゃない、アンタ金持ち受け良いんだし。案外映えるかもよ?」
「馬鹿か!……ああもういい。」
はあ、とこれ見よがしに大きくため息を吐いて、は再び入り口へと足を向けた。
「おい、どうするつもりなんだ、?」
「仕事だ。……ついてきたきゃ好きにしろ。」
状況が飲み込めないままのガイを置いていかんばかりの勢いで、は足早に店を去っていった。





街の中心にある大きな屋敷へ向かう。ガイも荷物を抱えたままついてきた。
「アンタ、本当に物好きだな。」
「あのやりとりを見て不安になるなってほうが無理だろ。」
「まあ好きにしろって言ったからな。けど仕事の邪魔はするなよ。」
「わかってるって。」
いつものように苦笑交じりに頷いて、ガイはの隣に並んで歩いた。



アスターの屋敷に入ると、応接用の部屋でアスターと小太りの男が待っていた。
「これは殿。本当に来ていただけるとは。」
「他ならぬあなたからの頼みだ。ケセドニアでギルドの看板背負ってる以上無碍に断れんだろ。」
小さく肩をすくめて、は小太りの男の方に向き直る。
「どうも。その節はいろいろと。」
「お久しぶりです。こうしてまたお会いできて光栄ですよ。」
「こちらこそ。……ではさっそく本題へ。依頼の内容は聞いているので、詳細と段取りだけで結構だ。」


ソルジャーズ・ギルドに届けられた依頼は、貴族や富豪たちの集まるパーティでの依頼主の護衛。
そして依頼主の命をおびやかす何者かを見つけ出し、捕縛もしくは始末せよ。というものだ。



「これが会場の見取り図です。
殿には私の身内の者ということで中へ入っていただきます。」
「まあ妥当な線だな。招待客はどれくらいだ?」
「こちらでわかっている人数で……」
机の上に並べられる資料をめくりつつ、打ち合わせは十数分ほどで終わった。


「……では殿、よろしくお願いします。」
「了解した。」
立ち上がり、は依頼主と契約の握手を交わす。
しばし二人の会話を見守っていたガイは、痺れを切らしたように口を開いた。
「大丈夫なのか、?」
「ホント心配性だな、アンタ。」
呆れたように呟いて、それからふと何か思いついたようには唇の端を歪める。
「……一つ、提案があるんだが。」
その言葉はガイではなく依頼主に向けられていた。
「そちらの部下にやらせる付き人役を、この男に代わってもらえないか?」
「なっ?!」
ガイは驚きのあまりポカンと口を開けて固まっている。
「ふむ?」
「見ての通り顔はそこそこいいし、腕も立つ。呼吸を知ってるから連携も取りやすいしな。
身の元については俺が保証する。どうだろうか?」
依頼主はしばしとガイを交互に見つめて、
「わかりました。そのようにいたしましょう。」
小さく頷き、ガイに握手を求めた。
ガイはとりあえずそれに応えつつも、戸惑ったようにを見つめる。
「お、おい!」
「興味本位で首を突っ込んだりするからだ。」
突き放すようにガイの視線を切り捨て、はふ、と口元に弧を描いた。
「そう文句言うな。──プロの仕事を見せてやるさ。」





パーティは明晩開かれるとのこと。
屋敷を出る頃にはすでに日は沈みかけており、は話がまとまるとすぐに街の商業区へと向かった。
「準備をすませてくる。ガイはルークたちに事情を説明してくれ。明日の正午、直接屋敷で落ち合おう。」
そう言っては、ただし女装については伏せろ!と強く念を押した。
「わかったって。それじゃあ気をつけてな。」
ガイは苦笑ををこぼしつつ、軽い足取りで宿へと戻る。
何と言うか、ここまで来てしまったら腹をくくるしか──もとい開き直るしかない。
がやるというのなら無茶が過ぎないように。普段の旅と大して変わらないことだ。
そう認識すると、不安やら戸惑いは消えるように無くなった。




宿でルークたちに事情を説明し、夜が明けてからガイは屋敷へと向かった。
は準備とやらで宿に戻ってきた様子はなく、大丈夫なのかと心配しつつも、止める手だてはないので忘れることにした。
「失礼します、の連れの者ですが……」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
にこやかな表情で出迎えた依頼主の男に案内され、小綺麗な客間へと通される。
「衣装はそちらにお出ししてあります。
出発の時間になったら声をかけますのでそれまでくつろいでいてください。」
手で示されたハンガーラックには皺一つない黒のタキシードやドレスシャツが掛けられていた。
「あの、は……?」
「今朝からお越しいただいてますよ。二つ隣の部屋にいらっしゃいます。」
よろしくお願いします、と会釈して、男は去っていった。
「……さて。」
足音が遠ざかるのを確認して、ガイは用意された礼服に着替える。
「それにしても……」
アスターと並ぶような大商人に使用人がするようなことをさせてしまっているのはなんだか申し訳がない。
依頼のことについてはあの場で話し合っていた人間以外には伏せているので、他の人間にはさせようがないのだが、ふとそんなことを考えてしまう。
「俺もこっち側が長くなってきてるもんなあ……」
自分の身の上を考えると情けない話だが、それが嫌じゃないというのは既にそこまで染みついてしまっているのか。はたまた元来そういう質なのか。
考えながらの着替えは滞りなく終わり、サイズも問題ないことを確認する。
どうやって時間をつぶすか──思案しかけて、ガイは彼女のいる部屋の方を見た。
「……様子でも見に行くか。」




教えられた部屋の前に立ち、軽く扉をノックする。
中で誰か動いた気配がして、ガイはやや小さな声で、俺だ、と告げた。
「……入っていいぞ。」
間が空いて返ってきた言葉に、ゆっくりと扉を開け、中に入る。
ふわりと鼻を掠めた香りに一瞬驚くが、扉を閉めて部屋の中央に視線をやって、
「っ────」
ガイの思考は完全に停止した。



「……何か言え!」
数秒後飛んできたの声ではっと我に返る。
「あ、ああ……すまない……」
咄嗟に言葉が出ずどぎまぎしながらの方へと歩み寄る。
「…………」
「だから黙るなって……不備がないか意見を聞きたいんだが?」
多少苛立ちを含んだような言葉にガイは慌てて首を振り、何とか思考を正常に戻してもう一度彼女に目を向けた。

 紺碧とでもいうべき色のドレスは袖のないデザインで、刺繍や装飾はほとんどない。
 その代わり胸から背中が大きく開いており、腰周りを飾るリボンと胸元のコサージュがその形を強調している。
 流れるようなラインの裾はすらりとしたの体型にぴったりで、彼女の魅力を存分に引き出していた。

「……その、すごく綺麗だ。よく似合っているよ。」
「ならいい。」
は軽く頷いて、それからまじまじとガイを見つめた。
「……そっちも、なかなか様になってるじゃないか。」
「そうか?自分ではよくわからないんだが。」
「いかにも貴族様って感じだ。」
「それは……褒め言葉として受け取っていいのか?」
何とも微妙な答えにそう訊ね返すと、はくくっと笑って言葉を続けた。
「一応な。アンタ元々美形だからそういう格好がよく似合うんだって。」
よっ、と立ち上がって、が急接近してくる。
「髪、もう少しちゃんと整えとけよ。顔が目立つから少し地味なくらいがちょうどいいか……」
そんなことを言いながら腕を伸ばして髪を梳き始めた。
端正な顔が目の前に近づき、しなやかな指がそっと触れる。
ホルダーネックのドレスは首から鎖骨のラインを綺麗に浮き上がらせていて、否が応でも意識してしまう。
「っ……!」
びくり、と思わず跳ね上がってしまい、体が後ずさる。
「「あ……」」
戸惑ったような声が重なった。
「す、すまない……その……キミがあまりにも綺麗だから。」
取り繕うように謝るが、距離を詰め直すことはできない。
意識を逸らすことができないくらい、今のは“女性”だった。
はそんなガイをしばしぽかんと見つめて、
「ん……とりあえずアンタの反応が変わるくらいには別人になれたってことだな。」
小さく呟くと、ふい、と視線を逸らしてしまう。
、すまない。わざとじゃないんだ。」
「わかってる。謝ることじゃない。」
慌てたような声に顔を上げると、心なしか彼女の顔は赤く染まっていた。
少し考え、それが初めて見る照れた表情だと言うことに気づき、言葉に詰まってしまう。
彼女の知らない顔を見られるのは嬉しい。
同時に、これは想像以上にとんでもない、非日常な出来事になりそうだった。