、只今戻りました。」
暑い夏が過ぎ、いくらか過ごしやすくなった秋の昼頃。
が障子越しに声をかけると、入室を促された。
「失礼いたします。」
襟元を正し、静かに襖を開ける。
「──あ、」
顔を上げては一瞬固まった。
「どうかしたのか?」
先程とは違う声が訊ねる。
「いえ……失礼いたしました。筆頭が御在室とは存じませんでしたもので。
お取り込み中のようでしたらまた後ほどお伺いしますが。」
部屋には二人の人物がいた。
の仕える奥州伊達軍、その筆頭である伊達政宗と、彼の腹心の片倉小十郎。
二人は部屋の真ん中で向かい合って座っていた。
「いいぜ、入ってこい。物見の報告だろ?」
手元で弄っていた扇子をパチン、と閉じ、政宗はを手招きする。
「Good Timing.ちょうどその話をしてたところだ。小十郎、地図出せ。」
政宗の言葉に頷き、小十郎は傍らに丸めていた地図を広げた。
も傍らに座し、それを覗き込む。
「現在のところ周辺国に大きな戦の様子はありませんでした。同盟等の動きもなく、互いに牽制しつつ成り行きを見守っているという模様です。」
「相変わらずの降着状態か……」
「当の武田、上杉にも動きは見られませんでした。定期的に物見の忍を放っているようですが、もうしばらくはこのままかと。」
「OK.ご苦労だったな、。下がっていいぜ。」
「はっ。」
恭しく頭を垂れ、は静かな動作で立ち上がると音もなく部屋を後にした。




「ん……しょっと。」
自室に戻ったは小手などの装備を外し、忍び装束から普通の着物へと着替える。
髪を結い直して、脱いだ忍び装束を手に取り、小さくため息を吐く。
「これはそろそろ新しくしないと……」
手に取った部分は切り裂かれており、こうしてみるとかなり大きく切られていることがわかった。
「あまりツギハギだらけでは格好が悪いけど……」
呟きながら裁縫道具を取り出し、装束を縫っていく。
切られた部分以外にあれもこれもと直しているうちに、日はすっかり西へと傾いていた。
「いけない。そろそろ食事にしないと。」
ふと顔を上げた拍子に気づき、は手早く道具を片づける。
そうして縫い終えた着物を畳んでいると、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
、いるか?」
足音は部屋の前で止まり、訊ねる声には反射的に背筋を伸ばす。
「はい、おります。」
入るぞ、と戸を開けて入ってきたのは小十郎だった。
「如何なされました?」
姿勢を正しては訊ねる。
小十郎はの傍らに腰を下ろすと、まっすぐに彼女を見つめた。
「……腕、見せてみろ。」
「え?」
ぱちぱちとは目を瞬かせる。
「左腕の怪我だ。見せろ。」
「あ……」
びく、とは一瞬身を強張らせる。
隠すように背を向けるより、小十郎の手が伸びる方が速かった。
腕を捕まれて距離を詰められる。
顔を背けたの袖を小十郎はゆっくりと捲った。
「……っ」
肘のすぐ上で巻かれた包帯が露わになる。
赤黒くにじんだそれを見て小十郎は眉根を寄せた。
「あの……大した傷では……」
「どこでやられた?」
「……越後の戻りです。
尾行をするつもりだったようでしたので、振りきる際に……」
「どこの忍だ?」
次の問いには首を横に振った。
「申し訳ございません。そこまでは。
……わかるのは相手も越後を偵察に来ていたことと、わずかですが京のなまりに近い言葉を使うことだけです。」
そうか、と呟いて小十郎はそっと手を離した。
「しばらく休んでいろ。それが直るまでは任務に就くな。」
え、とは言葉をつまらせる。
「っ……大丈夫です。任務に差し支えはありません。」
「聞こえなかったのか?俺は休めと命じたんだ。」
その言葉に対する選択肢をは持ち合わせていない。
「……御意。」
戸惑いを押し殺すように静かな声で返答すると、小十郎は、それだけだ、と言い残して去っていった。
足音が遠ざかってから、はゆっくりと顔を上げる。
無意識に左の腕に触れると、少し熱を帯びていた。
怪我のせいではない、のだろう。なんとなくだがそう悟った。
きっと……この感情のような何かが作用しているのだろう。
怒りや悔しさではない。苛立ちとも、悲しみとも違う。不明瞭な、でもたしかにこの胸をざわつかせる何か……


、いる?」
不意に呼びかけられ、ははっと我に返った。
カラリ、と戸を開けて一人の女性が入ってくる。
「ああ、いたいた。」
浅葱色の着物に前掛けを垂らした出で立ち。彼女は伊達家に仕える侍女であり、の友人でもある。
「どうしたんですか?」
「夕餉、まだでしょう?煮物をたくさん作ったから一緒に食べない?」
「いいんですか?」
「もちろんよ、さ、行きましょう。」
やわらかな笑顔に、引かれるように立ち上がる。
軽く頭をふって、はもやのかかった感情を胸の奥にしまい込んだ。
「ええと……それじゃあご一緒させていただきますね。」
そして答えるように微笑みを返し、自分の部屋を後にした。